記憶を失くした幽霊が名前を思い出すまで
王宮の一室でベビー5はヴェルゴに押し付けられたトランクを開く。
中身を改めろという命令だ。
どうやらこのトランクは””の持ち物であるらしい。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれたトランクの中身を、ベビー5は丁寧に広げて行った。
「洋服、双眼鏡、メガネ、靴、ペンとお菓子とハンカチと・・・、
ドレスローザの地図・・・地図には特に書き込みはないし、
これも少し重たいけど普通の旅行鞄みたい、・・・ん?」
ベビー5は目を瞬く。トランクの底に分厚い本が仕舞われていた。
手に取って、表紙に貼られたラベルを眺める。
”Fable”と銘打たれたそれは日記帳のようだった。
思わずベビー5はキョロキョロと辺りを見回した。
人の日記を読むのは、あまり趣味のいいことではないともわかっているが、
しかし、敵の作戦が書かれているかもしれないし、
ヴェルゴには改めろ、と命令されてもいる。
何よりこの日記はベビー5が一目見てみたかった
ドンキホーテの”お姫様”の書いたものかもしれないのだ。
ベビー5は好奇心に勝てず、
いつしか写真や付箋が挟み込まれたページを捲っていた。
最初はひどく震えた字が並んでいるが、
段々と形が整い、流れるような美しい文字になっていく。
拙い文字の練習が徐々に冒険譚へと変わっていった。
記憶を失くした幽霊が紳士な骸骨ブルックに出会い、麦わらの一味に手を引かれ、海へと出る。
島々を巡り強敵と出会い、挫折しながらも前向きに日々を過ごし、
そして徐々に名前や、失くした記憶を取り戻していくのだ。
※
少し日記の間が空いてしまったわ。
覇気は使いすぎると全然実体化できなくなったり、すごく疲れるのが難点。克服しなくては。
最近は図書室で幽霊について書いてある本を良く読んでいたの。
”ゴースト”の能力を使いこなして、ルフィが海賊王になるのを見届けたいから!
麦わらの一味と出会ったのも、もう3ヶ月の前のことだわ。
実は過ごした時間はペローナちゃん、ミホーク、ゾロとの方が長くなってしまっているけれど、
それでもやっぱり、サニー号が私の帰る場所って感じがする。
”賑やかな海賊たちについて”
ルフィと出会ったのもフロリアントライアングルだった。
ブルックと幽霊船の上で歌って踊って過ごしてた時、偶然サニー号が通りがかったの。
私たち、彼らをびっくりさせようと思って”ビンクスの酒”を歌ったわ。
みんな顎が外れそうなくらい驚いてた! それもそうよね。だって骸骨と幽霊が歌ってるんですもの!
最初はやっぱり私たちが怖かったみたい。偵察に来たナミとサンジは警戒していたから。
でもルフィだけは、全然私とブルックを怖がってなかった。
私とブルックを目をキラキラさせて眺め回して、「おれの仲間になれ!」って言ったのよ。
海賊になれと。会って5分も経たない幽霊に向かって!
海賊ってどういうことをするのかもよく知らなかったから聞いてみたの。
そしたら、いろんな島を冒険するんだって、ルフィは笑った。海賊は”自由”なんだからって。
私、とってもそれが魅力的に思えて、二つ返事で頷いたのよ。
「喜んで私、海賊になってさし上げるわ!」ってね。
どうしてか、”自由”って言葉を聞いて涙が出そうになるくらい、嬉しかった。
もしかして、ずっと自由になってみたかったのかもしれないわね。
それがどんなものかを知らないと思ったから。
記憶を失って何にも知らず、わからないでいる私の手をルフィが引いてくれたんだわ。
スリラーバークでも、シャボンディでもそうだった。手を伸ばしてくれた。
だからそれに報いたいと思うの。
”麦わらの一味”は今のところ10人。
船長のルフィ、剣士のゾロ、狙撃手のウソップ、航海士のナミ、コックのサンジ、
船医のチョッパー、考古学者のロビン、船大工のフランキー、音楽家のブルックと私。
てっきり私は海賊って怖い人たちの集まりなんだと思っていたけど、そんなことはなかったわ。
みんなそれぞれに夢を持っていて、ルフィを支えることでそれを叶えようと同じ船に乗っている。
だけど、そんなの関係なくルフィは面白いと思った相手を勧誘しているみたい。
だから私も含めて、普通の人間じゃないメンバーが揃ってる。トナカイ人間とか、サイボーグとか、骨とか。
チョッパーは人獣型だとたぬきに間違われるんだけどね。本人的には不本意みたいよ。
ルフィの夢は海賊王になること。
誰より自由な海賊の王様のことを、海賊王と呼ぶのだとルフィは言うわ。
私、王様って不自由な人のことを言うのだと思っていたの。
王様は治める国のことを四六時中考えて、
そこに住む人がより幸せに暮らせるように、より長く続くように調整する人。
国とは人が幸福に生きるためのシステムで、王や貴族はそれをうまく動かすための歯車だと。
でもルフィは私とは全然違う”王様”の形を見ているみたい。
だからそれがどんなものか、私は見てみたいのよ。
麦わらの一味はみんなそれぞれの夢を応援してる。
でも残念ながら私には今のところ、夢らしい夢はないの。
記憶をきちんと取り戻せたら、何か見つけられるんじゃないかと思うのだけれど。
またの機会に、スリラーバークのことを書こうと思います。
その時にはもう少し、覇気がうまくなってるといいな。
珍しく晴れたクライガナ島の朝 寝坊したペローナちゃんを待つ合間に。
※
今日はクライガナ島を出て最初の一日。
ひとり旅だわ! 少し寂しいけれど、ブルックに合流して歌の腕前を磨くと決めたから、頑張るつもりよ。
一応乗船手続きは全身実体化してやったから、船員の人たちは私が海賊とか、
まして幽霊だなんて思っても見ないと思うんだけど、やっぱり隠し事は悪いことだからドキドキしたわ。
航海の間に時間が取れそうだから、スリラーバークについてを書こうと思います。
”スリラーバークとゲッコー・モリア”
麦わらの一味に入って、初めて敵対したのがゲッコー・モリアという海賊だった。
私にとって、彼は印象深い敵だったわ。
私に海賊としての信念、流儀を教えたのは、もしかするとモリアかもしれない。
モリアと出会ったのはスリラーバークという、移動する島。
島を丸ごと帆船の上に乗せていたの。後から思い出すとものすごい造船技術だわ。
フランキーとは寝ずの番の時にこの話題で盛り上がったものよ。
スリラーバークは霧深いフロリアン・トライアングルとともに航海をしていたみたい。
モリアはカゲカゲの実の能力者で、
スリラーバークに迷い込んだ人たちの影を奪い、
その影と適当な死体を材料にゾンビを作って部下を増やしていたのよ。
効率は良いのだか悪いのだかわからないわ。ゾンビは日光に弱いし。
奪った影の主が生きてなくてはゾンビも動かなくなるみたい、昼間動けないのは痛手よね。
モリアはブルックの影を奪っていたものだから、私は影を返して欲しいと直談判したのよ。
今思うと、ちょっと無謀だったわ。
モリアはどうしてか幽霊の私に死後の世界についてを聞きたがった。
これは後で知ったのだけれど、モリアは仲間を一度すべて失っていたそうね。
だから死人である私に、仲間たちの道行きを聞いてみたくなったのかもしれない。
ペローナちゃんの話では悪魔の実について精通しているようだったから、
私が”本物の幽霊”ではないと勘付いていてもおかしくなかったのに。
私の答えはモリアの望んだものではなかったと思うけれど、
私が「この場所こそが死後の世界だ」と言うと、
モリアは海賊に言うことを聞かせる方法を教えてくれた。
本物の海賊には懇願も、脅しや命令も通じない。
支配するにも、自由に生きるにも、奪う力がなくてはいけないと。
そして生きた人間と仲間にかけがえはないのだと言うことを。
覇気も知らず、物に触ることもできず、傷つく仲間を見ても
何もできない私へのあてつけだったんでしょうけど、私は納得してしまったのよ。
確かに、力がなくては何もできない。
でもその力と言うのは、何を指すのかしら。
武力のこと? それとも権力? あるいは財力というのも当てはまるだろうけど、
私にはどれもピンとこなかった。
目的を遂げる手段を持つことが”力”なら、
私に可能性が残されているものは”歌”だと思った。もっと言えば、”言葉”だと。
なぜそう思ったのかと言うと、
ルフィに倒されたモリアと話す機会があって、その時”死の舞踏”の歌を贈ったの。
そうしたら、モリアは私を励ますような言葉をくれたわ。
『行ってこい、歌唄いの幽霊。
死者が生者の世界で何が出来るのか見せてみろ』
つい先ほどまで、私たちと命のやり取りをしていた”本物の海賊”が、
私の歌に思うところがあって、そんな素敵な言葉をくれたのよ!
それで私は思いついた。
敵対していた相手が私たちの目的に共感すれば、戦わなくたっていい。
それどころか、もしかしたら相手が協力者になってくれるかもしれない。
だから私は、シナリオライターで演出家、
そしてエンターテイナーにならなくてはいけないわ。
自分の言葉で、自分の解釈で、私は私を演じ、歌う。
自分の思惑の通り物事を運ぶために。
なるべく誰かが血を流すことがないように。
誰も傷つかない、ハッピーエンドの優しい物語になるように。
そんな気づきをモリアは与えてくれたから、どうも私はモリアを憎みきれずにいるのよ。
確かに手強い敵だったと言うのにおかしいわね。
モリアは今生死不明、行方知れずだと聞くけど、またお目にかかる機会があるなら、
何か、海賊らしいエピソードの一つでも話すことができれば、
少しは見返すことができるかしら、と思っています。
ブルックへ会いに行く旅の途中の夜。客船”ムーン・ダイヤモンド号”の一室にて
※
乗客の子供の一人に私が幽霊だとバレそうになっててんやわんやしていたわ。
うかつにもほどがあると少し反省・・・。気を抜いてはダメね。
なんとかごまかしたけれど、半信半疑という表情だったから、
ええ、なんとかなったということにしておくわ!
それにブルックのツアーと次の島で合流できそう!
覇気を知らなかった頃の私は
物に触れることができなかったからレイリーのビブルカードを持つことができなくて、
シャボンディ諸島ではブルックと行動する予定だったから、とても心配をかけていると思う。
そもそも、どうして私や一味のみんながバラバラに行動することになったのか、
あまり良い出来事ではなかったけれど自戒と反省を込めて
シャボンディ諸島で起きた出来事を綴ることにするわ。
”シャボンディ諸島での敗北”
スリラーバークを抜けると、記録指針は魚人島の方向を指していた。
海の中に位置しているというのは漠然と知っていても、
一味の中に魚人島への航海方法を知っている人はいなかったから皆困ってしまって。
もちろんサニー号は潜水艇ではないし、途方に暮れていた時、
人魚のケイミーちゃんとヒトデのパッパグと出会ったのよ。
海獣を倒したらその口から出てくるっていう、不思議な出会い方だったから忘れられないわ!
その後成り行きで人身売買の組織、
トビウオライダーズに捕まったタコの魚人のハチさんを助けに行くことになった。
ハチさんはケイミーとパッパグと友人だったのと、ナミとも関わりがあるようだったから。
ナミとハチさんの関係はあまり良いものではなかったみたいだけれど、
ナミはハチさんを許すことにしたみたい。
トビウオライダーズと和解した後は、ハチさんの焼いたたこ焼きを美味しそうに食べていたわ。
みんなどこかホッとした面持ちだったのをよく覚えている。
魚人島を故郷にするケイミーとパッパグは”コーティング”という、
シャボンを使った船の加工をすることで魚人島への航行ができるようになると教えてくれたの。
だから麦わらの一味はシャボンディ諸島に進路を定めた。
シャボンディ諸島はとても美しかった。ヤルキマングローブの集合した島で、
樹液からいくつもシャボンが浮かび、うっすらと虹色に光っていた。
マングローブの集合体だからログを損なうことなく、船を停泊させることができるというのも特徴ね。
島の人々はシャボンを生活に取り入れ、ヤルキマングローブと共生していたわ。
建物や乗り物さえもシャボン製だったのよ。
シャボンディ諸島はグランドライン後半の海に入る中継地点でもあって、
海賊、一般人問わず多くの船乗りたちが来ていた。
通行証をもらい、マリージョアを通って船を乗り捨てて行くのが普通のルート。
でも海賊たちは船をコーティングして、魚人島を経由し、グランドライン後半の海へと行くルートを辿る。
時期がいいのか悪いのか、麦わらの一味以外にも大勢海賊がシャボンディ諸島に来ていたわ。
・・・その中で、少し気になる相手もいたのだけれど、これは別の機会に。
私たちはコーティング職人のレイさんという人をハチさんと探しに行くことになった。
けれど、マリージョアが近いこともあって、シャボンディ諸島には天竜人が闊歩していた。
彼らが近くにいるためかシャボンディ諸島には差別意識がまだ根強く、人身売買の店があったりもして、
そんな中で、ケイミーちゃんが人さらいに捕まってしまったの。
若い女の人魚は高く売れるからと言う理由で。
もちろん、私たちはケイミーちゃんを探し出そうとしたのだけど、結局は競売にかけられてしまっていたわ。
人身売買の店では天竜人がケイミーちゃんを競り落として、会場にいたハチさんを銃撃し、
奴隷にしようとしたのだけど、ルフィがとても怒って、天竜人を思い切り殴ってしまったの!
私は直接見てはいないのだけれど、さぞ胸のすく光景だったでしょうね!
コーティング職人のレイさんことシルバーズ・レイリーにもここで出会ったわ。
どうやらわざと捕まって自分を買った相手からお金をだまし取るつもりだったみたい。
コーティング職人というのは本当で、それで生計を立てているよう。
お茶目だけど、どうも食えない人っていう印象があるわね。
そこに居合わせた海賊、ユースタス・キッドとトラファルガー・ローたちと一緒に
私たちは海軍からなんとか逃げて、レイリーさんのビブルカードを頼りにバラバラに行動して
コーティングまでの時間を稼ごうとしたのだけれど、
そううまくはいかなかった。
天竜人を殴ったのだもの。海軍大将が動くのは、致し方ないことだったのだわ。
海軍大将黄猿、サイボーグのバーソロミュー・くま、戦桃丸と名乗る敵は手強く、
私たちは敗北した。
私たちは本物のくまに、なす術もなく分断されてしまったのよ。
私はゾロと一緒にクライガナ島シッケアール王国跡地へと飛ばされ、1年間そこで過ごすことになったわ。
海軍を相手に、何もできなかった。
あれほど悔しいと思ったことは記憶を失ってからは初めてだわ。
傷ついて行く仲間を前に、何もできないなんて本当に嫌だった。
あんな思いはもうしたくないわ。
・・・この島で私は名前を思い出したのだけれど、その経緯はまた後ほど。
夕方の客船”ムーン・ダイヤモンド号”図書室にて
(客室に閉じこもっていると怪しく思われるの。
少しは人間らしくしないとダメということね、私は幽霊なのだけど!)
※
色々とバタバタしていて間が空いてしまったわね。
ブルックとは無事に合流することができたわ!
やっぱりとても心配をかけていたようで、再会をとても喜んでくれたけど、泣かれてしまった。
・・・ちょっと申し訳なかったかもしれない。
ブルックは今や大スター、ソウルキングと呼ばれるミュージシャン。
ピン、ポン、パンという手長族のマネージャーをつけて、ワールドツアーの真っ最中よ。
心なし、歌もより一層上手になっている気がするわ。
実は私もコーラスとかでツアーに参加することになってしまって・・・。
取り戻した記憶が記憶だから、表舞台に立つことは避けたけれど、
華やかな舞台に、MCとかバックコーラスとかで立つのは面白いことだと思う。
喝采を浴びれば嬉しくなるわ。もちろん主役はブルックだけれどね!
今日は今までに思い出したことを、シャボンディでのこと、
クライガナ島での出来事を交えて書くことにします。
”名無しの幽霊から、になるまで”
私はずっと航海をしながら記憶を取り戻そうといろんな人とおしゃべりをしたりしてきた。
誰かと喋ると、少しずつ、昔の記憶を思い出すことができたから。
昔読んだ本、ピアノの弾き方、ダンスの仕方とかね。
ただ、自分自身のことを思い出すことは少なくて・・・。
それでもルフィに兄がいると聞いて、自分にも兄弟がいたことを思い出したりすることができたわ。
私には兄が二人居たの。今は名前も、顔も思い出せないけれど。
そんな私が最初に思い出した記憶は、
鉛色の空に、手を伸ばし、遠ざかる岸壁を見送ったこと。
窓からサングラスをかけた誰かが私を見て、すぐに部屋の中へと戻ったこと。
私はずっと誰かに殺されたのだと思っていた。
けれど、シッケアールでミホークと出会ったことで、それが違うのだとわかった。
私は自分から身を投げたのだわ。悪魔の実を口にして。
ミホークは私が食べた悪魔の実を知っていた。
『動物系・幻獣種。ヒトヒトの実、モデル・ゴースト』
私はこれを口にして、生きながらにして幽霊になった。
悪魔の実を食べて窓から飛び降りろと、私を脅した人物が居たことをシッケアールで思い出したの。
その男は言ったわ。
『その血に敬意を持って、この世で最も贅沢な死に方を考えてみた』と。
その男は、それが幽霊になる悪魔の実だとは知らなかったみたい。
けれど、どうしてそんな風に脅されたのかはまだわからない。
そんな必要があったのかも。
私は病気がちで、風邪でも引こうものならたちまち命を落としかねないほどだった。
よほどすぐに、私に死んで欲しかったのかしら。
それから、少し引っかかっていることがあって。
シャボンディ諸島でバーソロミュー・くまに、能力を使われる前、
私の名前を誰かが呼んだのよ。「」と。
だから自分の名前を思い出すことができたのだけれど、あれは一体誰だったのか。
少し、心当たりがあるとするなら、シャボンディ諸島で会った、
トラファルガー・ローという海賊のこと。
私は人間屋でローと会った時、奇妙な懐かしさを覚えたの。
嬉しいような、あるいは悲しいような気もして・・・。
知り合いかもしれないと声をかけたのだけれど、ローは私を知らないと、そう言ったわ。
その時は名前も教えてくれなかった。
ローの名前を知ったのは新聞で。
頂上戦争の際ルフィを逃したことが記事に載っていたから。
名前の綴りを見たときに、私は思い出したわ。
私を懸命に治そうとしてくれた、小さなお医者さんのことを。
彼は病に冒されていて、なにも信じられなくなるくらい辛い思いをしていて、
私よりもずっと死に近く、そして死を受け入れる代わりに、
何もかもを壊したいと願っていた。
私は、そんなのはダメだと思った。
だって、彼は人を治すことができる手のひらを持っていたのだから。
ご両親が医者だったと言っていたから、その姿に憧れたのかもしれない。
きっと最初は誰かを治したり、助けたりするために知識をつけたはず。
そう思ったら、荒んでいる彼を放っておくことはできなくなった。だってあまりに可哀想だったから。
私を治療している間だけでも、何かを憎んだり怒ったりしなくても済めばいいと、私は彼に構ったわ。
そうしたら、時々笑ってくれるようになった。
薬が飲みにくいと駄々をこねたら、口では色々と言っていたけど、飲み口の優しい薬を選んでくれた。
一度も私に嘘を吐かなかった。私の話を聞いてくれた。
本当は、最初から優しい男の子だったのだと思う。
私はとてもそれが嬉しくて、そのうち私の方が彼に励まされるようになっていったわ。
多分、彼はそんなこと、全然知らなかっただろうけど。
その小さなお医者さんの名前も、トラファルガー・ローだった。
同姓同名の別人ということは、ないと思う。
シャボンディ諸島で出会った海賊のローにも面影は残っていたから。
私を知らないって言ったのは、どうしてだったのかしら。
私は彼に、どうして嘘を吐かれたのかしら。
何故、私は彼が居るのに死を受け入れたのかしら。
いくつも疑問が浮かぶし、理由を考えると暗い気持ちにもなるけど、一つだけ喜ばしいことがある。
彼が私の知るロー先生と同じ人なら、病を克服してきちんと大人になることができたと言うことだから!
私のことを思い出したくなくっても、彼が生きていてくれているなら、それでいいわ。
だからシャボンディ諸島で私の名前を呼んだのはロー先生なのかも、とちょっと思ったのだけれど、
声が、少し違った気がするのよ。聞き覚えもなかったし。
航海の中で、真実を見つけられればいいのだけれど。
花の楽園ピオニアを発つ前日の夜。モーテルにて。