ゲームオーバー、もしくは過去の殺人についての話
ヴェルゴは短く舌打ちし、煙の吹く銃を手に持った男に詰め寄った。
「なぜ撃った、トレーボル!?」
トレーボルは銃をしまい、ヴェルゴの怒りの正体がわからない、
と言わんばかりに首を傾げる。
「なぜ? この”茶番”を続ける必要がないからだ、んねー?」
「なんだと?」
今度はヴェルゴが首を捻る番だった。
トレーボルは淡々と理由を述べる。
「モネとシーザー、そしてお前の心臓は取り戻した。
シュガーは我らの手中にある。ゲームを続ける必要はない。そうだろう?」
話を聞いていたモネは確かに、と内心で頷いた。
ドンキホーテ・ファミリーが失っていたものは2問目までで全て取り戻すことができた。
と麦わらの一味をどうしても手中に納める必要は、ないのだ。
ヴェルゴはまだ納得がいかないのか、トレーボルに食い下がる。
「だが、まだ彼女が残っていた、」
「べへへへへッ! 麦わらの一味は皆殺し。
これはゲームに勝たずとも普通に戦りあえりゃそうなるだろう?
に関しては・・・ヴェルゴ、お前は私情を挟みすぎだ。
・・・それを言うのなら、ドフィ、お前もだな」
「・・・」
未だ沈黙し、血を流すの亡骸を見るドフラミンゴへと、トレーボルは目を向けた。
ルフィとロシナンテが必死に声をかけ、
海楼石の錠をかけられているにもかかわらず、
ローが懸命に処置にあたっているようだが、が息を吹き返す気配はない。
トレーボルはなおも続ける。
「『血の掟』はファミリー全員が遵守してこそ意味がある。
『裏切り者には死を』それが誰であってもだ・・・忘れたのか、んね~?」
血を流すを指差し、ドフラミンゴに言い募る。
そこにはどこか、詰るような響きがあった。
「そいつは、ドフィ、お前を裏切り勝手に死んだ。
お前の親愛に応えなかった女だ。
そして今もなお、お前の為すべきことが気に入らねェとドレスローザを引っ掻き回し・・・、
これが”裏切り”と”反逆”でなくて何だ?」
ドフラミンゴは唇を引き結び、何も答えない。
「おれがお前の代わりに引鉄を引いただけのことだ。ドフィ。
身内の血で手を汚すのは、1度でいい。そうだなァ?」
ドフラミンゴとヴェルゴ、トレーボルの会話には耳を貸さず、
ルフィはに声をかけ続けていた。
「おい、おい! ! しっかりしろ! 幽霊は死なねェんだろ!?」
だが、それに頷く声は返ってこなかった。
ルフィは血の気の引いたの顔に唇を噛み、手を止めたローに呼びかける。
「なんで手ェ止めんだトラ男! お前医者なんだろ!? 治してくれよ!」
ローは帽子のつばを下げ、首を横に振る。
「・・・無理だ、」
ルフィはそれに目を見開き、ローの胸ぐらを掴み、食ってかかった。
「なんでだ!?」
「お前だって知ってるだろうが!」
怒鳴り返されて、ルフィは沈黙する。
「死んだ人間は治せねェんだよ・・・!」
絞り出されるようなローの言葉に、ルフィと、そしてロシナンテは言葉を失った。
ロシナンテはふつふつと湧き上がる怒りに、膝をついたままドフラミンゴを見上げる。
「ドフラミンゴ、お前が家族と呼んだそいつらは、おれ達の妹を殺したぞ・・・。
ドフィ、これで何度目だ!? お前は一体何人殺した!?」
ドフラミンゴは微かに眉を顰めるだけで、ロシナンテの問いには答えない。
ロシナンテは歯噛みして、ドフラミンゴを怒鳴りつけた。
「おれは何回家族を弔えば良い!? 何回失えばお前はわかるんだ!?
お前にとって家族ってなんなんだよ!!!」
ドフラミンゴは妹の亡骸に目を向けた。
ロシナンテが抱きかかえたの錠に繋がれた手首が、だらりと地面に垂れている。
ドフラミンゴは肩を震わせ、”笑った”。
「フフフッ、フッフッフッ!」
哄笑するドフラミンゴに視線が集まる。
だが、そんなものは物ともせず、ドフラミンゴは愉快そうに喉を鳴らした。
デービー・バックファイトの果て、の目的が、ようやくわかった気がしていた。
そうか、これがお前の狙いだったか。
ドフラミンゴは立ち尽くし、天を仰いだ。
糸の檻に遮られ、暗雲立ち込める空を。
「13年前、おれの妹は自室の窓から飛び降りて死んだ。
一通遺書が残っていた。その内容からしても、病と境遇を儚んでの自殺だと思っていた。
・・・おれを裏切ったのだと思っていた」
ドフラミンゴは淡々と呟く。
しかしその言葉は王宮最上階に、確かに響いた。
「”今までは”」
ロシナンテとローが顔を上げた。
ヴェルゴが目を見張り、トレーボルの顔には訝しむような色が浮かぶ。
「ドフィ?」
ドフラミンゴは振り返る。
その唇には酷薄な笑みが浮かんでいた。決して仲間に向けられることのない笑みだった。
「13年前、ドンキホーテ・を殺したのは、お前だな。トレーボル」
「!?」
息を飲むトレーボルに、ドフラミンゴは首を傾げる。
「いや、違うか。トレーボル、ディアマンテ、ピーカ、ヴェルゴ・・・、
今の最高幹部全員で事に及んだと考えた方が自然だ。
創成期のメンバーは大掛かりな仕事には全員で取り組んだ、」
「ドフィ? 何を言っている?!」
こめかみに汗を浮かべ、ドフラミンゴを問いただすトレーボルに、
ドフラミンゴは腕を組む。
「フフフ、ところで一つ疑問に思っていたんだが、
妹はいつ、悪魔の実を食べ、幽霊になったんだろうなァ」
「!」
誰かが息を飲んだ。
いつ、が悪魔の実を食べたのか。
それはの死の真相とは関係のないことのように思えるが、
トレーボルとヴェルゴ、そしてローたちは知っている。
悪魔の実は、を殺す凶器の一つとなるはずだったということを。
「今の妹の姿はおれの知る顔と相違ない。
つまりだ。
13年前から、多めに見積もって10年前くらいの間に悪魔の実を口にした事になるだろう。
”飛び降りた後親切な誰かに救われ、その後、悪魔の実を口にした。”
・・・そんなこともあり得たかもしれねェが、可能性は低い。
なぜなら、」
ドフラミンゴは一拍の間を置いて、トレーボルに告げた。
「当時、北の海に流れてきた悪魔の実の情報は、
ほとんどドンキホーテ・ファミリーが網羅していたからだ」
「あ、」
ロシナンテが思わず声をあげた。ドフラミンゴの言う通りだ。
13年前、ドンキホーテ・ファミリーは闇取引を主に財源としていた。
ローに運があれば病を治すことができるかもしれないと
ドフラミンゴが言ったのはハッタリでもなんでもなかった。
「グランドラインに入っちまえば、多少は悪魔の実の入手難易度は下がるが、北の海は違う。
何しろ、悪魔の実の存在そのものを知らねェ人間もいるくらいだからなァ」
ローはドフラミンゴの言葉に唇を引き結ぶ。
最初はローですら悪魔の実の存在を知らなかった。
「あの頃北の海で悪魔の実を口にするためには
”ドンキホーテ・ファミリー”を介す必要があったってわけだ」
「・・・!」
勘のいい人間は気付き始めている。
当時、は”ドンキホーテ・ファミリーの人間を介して”悪魔の実を食べた
と考える方が自然なのだ。
そして、そう考えるならばが悪魔の実を口にしたタイミングは自然と絞られてくる。
――の死の直前。
「さて、能力がわからねェ悪魔の実を見つけたと言う報告も何度か受けた。
が、情報がデマだったと報告を受けたのは・・・1件だけだ。
おれには確実な情報しか上げないよう徹底していた。
報告はお前からだったな。トレーボル。珍しい出来事だったからよく覚えてる」
「・・・べへへ、そうだったかァ?
13年も前のことだ。忘れちまったなァ」
しらばっくれたトレーボルに、ドフラミンゴは頷いた。
「そうか。残念だ。・・・本当に、残念だよ」
テーブルに置かれていた銃を手に取る。
銃弾を込め直しながら、ドフラミンゴは静かに告げた。
「お前たちが死に際の妹に悪魔の実を食わせたんだと仮定すると、何もかも筋が通っちまうのがな」
銃口は、トレーボルに向けられていた。
「ドフィ・・・?!」
動揺するトレーボルに、ドフラミンゴはなおも続けた。
「動機もあった。
あの頃おれは妹のために足を洗いかけていた。
お前たちにも打診して、お前たちは受け入れたように思ったが、
それは違ったんだろうな。お前たちは何としてもおれを”王”にしたかった」
ドフラミンゴの口に浮かんだのは自嘲するような笑みだった。
まるで、最高幹部を信用したことを悔いるような。
「そのために、妹が邪魔だった」
地を這うほどの低い声だ。
押さえつけた憎悪と怒りが覇気になり、トレーボルを威圧した。
「ドフィ、違う、話を聞け、だいたいそんな証拠がどこに・・・」
トレーボルはドフラミンゴを説得しようと試みる。
しかし、ドフラミンゴは考えを改めようとはしない。
「確かに、過去の殺意は証明できねェ・・・だが、たった今、お前は妹を撃った」
「それは、」
ドフラミンゴはトレーボルの言葉を遮る。
「言いたいことはわかる。”血の掟”に則り、お前はおれの代わりに引鉄を引いた。
だが、おれは空を撃ったんだ。の持ちかけたゲームを了承した。
海賊としての誇りと仲間の心臓を賭けた」
そして愉快そうに告げたのだ。
「お前は神聖なる海賊のゲーム”デービー・バックファイト”の邪魔をした。
そりゃあ・・・船長であるおれの顔に泥を塗る行為じゃねェか?」
手当を受け、黙ってその場の成り行きを見守っていたベラミーも目を見張っていた。
夢を見ない海賊だったドフラミンゴが、夢見がちな海賊の流儀を謳ったのだから。
「な・・・!」
絶句するトレーボルに、ドフラミンゴは笑みを深めた。
「フフフフッ! あァ、口実だよ。わかるよなァ?
だが、口実を与えたのはお前の落ち度だ。トレーボル」
ヴェルゴは奥歯を噛んだ。
の狙いは最初からここにあったのだと、遅れて理解していたのだ。
思えば、の言葉の端々にはトレーボルを挑発するようなところがあった。
の”切り札”は確かに意味を成した。
ドフラミンゴは真実を悟り、こうしてトレーボルも、ヴェルゴ自身も追い詰められている。だが。
ヴェルゴは固く目を瞑る。
『大事な者のために、いとも容易く、君は自分を投げ出してしまう』
ヴェルゴ自身がに投げかけた言葉だ。わかっていたはずだ。
その切り札を切るために、自分の命を投げ出す必要はあったのか、。
胸によぎる後悔がどう映ったのか、ドフラミンゴが残忍な声色で問いただす。
「・・・お前ら、自分を人質に妹を脅したんだろう?」
トレーボルとヴェルゴは顔を上げた。
なぜそれを知っている?
ドフラミンゴは顔色が蒼白となったトレーボルと、驚愕するヴェルゴの顔を見て、
自分の口にしたことに間違いがないのだと悟り、笑う。
「最高幹部のお前らが、直接妹を殺したなら、おれは憎悪を持ってお前たちを殺しただろう。
”ファミリー”であるお前たちをだ。
それを愚かにも、妹は文字どおり、死ぬほど恐れた。フフフフフフッ!!!」
だが、哄笑はピタリと止んだ。
「長い間、本当に長い間、世話になったよ、お前たちには。
おれに手を差し伸べ、居場所を失くしたおれの家族として、よく働いてくれた。
恩義に思っているさ、だからこそ」
撃鉄に指がかかる。
「この”裏切り”は許せねェ・・・!」
それは最後通牒だった。
トレーボルは首を横に振り、喚く。
「違う! ドフィ、お前を裏切るわけがねェだろう!? おれが、おれたちが、」
「トレーボル、もう止めよう」
ヴェルゴはトレーボルが言い訳に喚き散らすのを止めた。
静かに息を吐き、銃口を向けるドフラミンゴに頷いてみせる。
「確かに13年前、を自殺まで追い込んだのは、おれたちだ。
動機も合っている。お前を王に掲げるのに、彼女は邪魔だった。それだけの理由だ」
ドフラミンゴのこめかみに青筋が浮かんだ。
だが、ヴェルゴはそれに怯まずに言葉を続ける。
「彼女に悪魔の実を食わせたのは、海に身を投げる彼女を確実に死に至らしめる為だった。
だが、その悪魔の実が生きながらにして彼女を幽霊に変えるものだとは誰も思っていなかった。
迂闊だったよ」
ヴェルゴはその時なぜか、ありもしなかった未来を思い描いた。
海賊から足を洗い、単なる貿易商として海を渡るドンキホーテ・ファミリー。
同じように時を過ごし、年を重ねる兄妹の側、そこに侍る未来もあったのかもしれない。
だが、そんな未来は来なかった。選ばなかった。
「少なくともおれは、彼女を殺したことを後悔していない。
お前は王としてふさわしい人間だった。
お前がそれを望むとも、・・・望まざるとも」
ドフラミンゴは長年連れ添った相棒の顔を睨む。
ヴェルゴはドフラミンゴを見返した。
そこには確かに、一片の後悔もなければ、怯えもないのだ。
全てを受け入れると決めているかのように。
ドフラミンゴは深くため息を吐いた。
それから、ロシナンテの抱えるの亡骸へと目を向ける。
「さァ、おれは答えを出したぞ、」
「何を、」
ヴェルゴは訝しむように首をかしげた。
「これは正解か? 間違いか?」
あるはずもない答えをドフラミンゴは待った。
しかし、しばらく待っても誰も返事をしない。
ドフラミンゴは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「おい、何をもったいぶってやがる。お前がそう簡単に死ぬわけねェだろ。
お前は傲慢で狡猾、計算高い合理主義の怪物だ。その上極め付けに、」
ドフラミンゴはの欠点を挙げ連ね、そして、
「――、お前はおれの妹だ」
その言葉は、どこか切実な響きを持って、聞こえたのだ。